2022年6月6日 12:00 AM

未来へとつながる、伝統文化×テクノロジ の可能性(前編)〜HoloLens 2 を用いた、いけばなのライブパフォーマンスレポート〜

2022年4月23日。よく晴れた春の日の午後、場所は渋谷公園通りにある LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)。普段はコンサートやミュージカルなどが開催され、主に若者が集うこのホールに、折目高な着物姿の女性や仕立てのよいスーツを身につけた人々が続々と入場していきます。

この日開催されたのは、いけばな三大流派のひとつに数えられる小原流の、東京支部創立100周年記念特別講習会。「つなぐ」という副題がつけられたこの講習会には、来賓や関係者含め1500名以上参加者が集い、第1部では厳粛かつ盛大に100周年の記念式典が執り行われました。

そして第2部では、小原流の五世家元である小原宏貴氏による「いけばなパフォーマンス-百の花を繋いで-」が披露されました。そのクライマックスを飾ったのは、いけばなと MR(Mixed Reality / 複合現実)技術の融合が生み出した新時代のパフォーマンスでした。本稿では、このパフォーマンスが実現した背景と、実際のライブパフォーマンスの模様をレポートします。

※関係者インタビューをまとめた後編は近日公開予定です。

時代の変化を柔軟に取り入れ、いけばなの“多言語化”を目指す

いけばな小原流は、流祖小原雲心氏によって創立された、いけばなの流派としては比較的新しい流派です。明治時代の末期、生活空間の洋風化が進むなかで、雲心氏は西洋草花をいけるための水盤や鉢を考案し、それまでの常識をくつがえす「盛花(もりばな)」を創始。この新しいいけばなの様式は当時の大衆に広く受け入れられ、日本中に広まったそうです。

雲心氏が持っていた、時代の変化を読み取り柔軟に取り入れていく気風は、その後の小原流にも脈々と受け継がれ、五代目となる当代家元小原宏貴氏も、精力的に海外の人々や若い世代にいけばなの魅力を伝えるための活動を行なっています。

「いけばなやその背景にある日本の文化、日本人が培ってきた感性を簡単かつ直感的に伝えるためには、“いけばなの多言語化”が必要だと考えています」と語る宏貴氏。「“多言語化”には、直接的な言語のほかに音楽や身体表現なども含まれます」という考えのもと、多言語化のひとつの手段として挑んだのが、MR 技術を用いたいけばなパフォーマンスでした。

シアトルで生まれた、いけばな × MR パフォーマンス

このパフォーマンスが誕生したのは、遡ること約2年前。2020年2月27日に米国のシアトルで行われた「IKEBANA × TECHNOLOGY」というイベントでした。当時のシアトル日本国総領事だった山田洋一郎氏(立命館アジア太平洋大学特別招聘教授)の「日本とシアトルの関係をもっと近づけるために、日本の伝統文化を最新テクノロジで表現して見せたい」という呼びかけに小原流が応えたことで、この前例のないのパフォーマンスが実現したのです。

参考:生け花と Mixed Reality テクノロジーのコラボレーション 「IKEBANA × TECHNOLOGY」開催レポート – Windows Blog for Japan

参考:[HoloLens 2] いけばな小原流&在シアトル日本国総領事館事例 Mixed Reality で進化する日本の伝統文化 | 日本マイクロソフト

「シアトルは、かつては日本からの移民を多く受け入れた土地で、現在はマイクロソフトをはじめとする多くの IT 企業が本拠地を構える土地です。日本に親しみの深いこの場所で、いけばなという日本の誇る文化を、MR という最新テクノロジと組み合わせて見せれば、多くの人の感性に訴えるのではないかと考えました」と山田氏。この着想を得てすぐに、前任地のブリュッセルで開催されたいけばな講習会で知り合った、宏貴氏の顔が頭に浮かんだのだそうです。

山田氏は IT 企業に勤める知り合いに相談し、「マイクロソフトの HoloLens 2 というデバイスを使うとよいのでは」という示唆を得て日本マイクロソフトに打診。日本マイクロソフトは HoloLens 2 のテクノロジ提供を行い、日本マイクロソフトのパートナー企業であり、拡張現実空間におけるコミュニケーションプラットフォーム開発に取り組む南国アールスタジオが、MR アプリケーション制作と当日のオペレーション支援を担当しました。

こうして開催された「IKEBANA × TECHNOLOGY」は大成功。ここで考案された表現がその後2年をかけて進化し、今回の小原流東京支部創立100周年記念特別講習会で披露された「いけばなパフォーマンス-百の花を繋いで-」に結実したというわけです。

過去から未来へと歴史をつなぐ、家元のパフォーマンス

「いけばなパフォーマンス-百の花を繋いで-」では、そのタイトル通り、前半は流派の歴史と東京支部の創設から現在に至るまでの軌跡を VTR で振り返りながら、流祖小原雲心氏をはじめとする先達の代表的な作品を、当代家元小原宏貴氏が再現するパフォーマンスが行われました。

今となっては写真や図でしか見ることのできない作品たちが甦るたびに、会場の熱気が上がるのが伝わってきます。

そしていよいよ MR を用いたいけばなパフォーマンスの始まりです。舞台の上手側に巨木を使用したオブジェが設置され、藤や柳など大振りな花材がいけられていきます。まるで舞台全体を花器に見立てたような圧巻のパフォーマンスに息を呑む客席の人々。

下手側には再現された先達の作品が並び、上手側には巨大オブジェ、センターに宏貴氏。過去から現在、そして未来に向けた時間の連なりを感じさせる舞台立てに、これから始まるパフォーマンスへの期待が高まります。

宏貴氏は客席に向かって「ここからは最先端のテクノロジを使って、皆さんをさらなる未来への旅へとお連れいたします」と力強く宣言し、HoloLens 2 を装着。

舞台奥に設置されたスクリーンには、宏貴氏の姿と複合現実空間をライブ撮影する iPhone の画面が投影されます。この表現手法は、2年前に小原流と南国アールスタジオが試行錯誤の末にたどり着いたもの。これにより客席の人々は、デバイスを装着しなくても MR の世界を体感できるのです。

宏貴氏がてのひらをかざすと、スクリーン上に3つの球体が現れました。もちろん、現実の舞台にはその球体は存在しません。MR 空間に描かれた3DCG です。続いてその球体のなかから一本のルピナスの花を取り出します。そして指先の動きでルピナスを拡大し、オブジェの空いている空間に配置。続けて二本、三本とルピナスで空間を埋めていきます。

このルピナスをはじめとするバーチャルの花材は、「フォトグラメトリ」と呼ばれるテクノロジを用いて、被写体をさまざまなアングルで撮影したデジタル画像から作成された 3DCG モデルでつくられています。

フォトグラメトリで作成された 3DCG モデルは従前の 3DCG モデルより精細なため、本来は手のひらに収まるくらいの花材を、花弁の一つひとつまで美しさを保ったまま、現実ではあり得ない大きさに拡大したり、さまざまな角度に回転したりと、思いのままに加工できるのです。

次に、アジサイがルピナスの手前に配置され、立体的な重なりが表現されていきます。ここで注目されるのが「オクルージョン」と呼ばれるテクノロジです。オクルージョンを用いることで、手前に配置した CG は手前に、奥に配置した CG は奥にあるように見せることができるのです。

オクルージョンでは人物も認識可能で、その裏側に置かれた CG は裏側に描画する処理を行います。ですから、パフォーマンス中に宏貴氏が CG の前を横切ってもスクリーンに映し出される映像に違和感はありません。

続いて球体の中からは、本来は秋に実をつけるビナンカズラが現れました。MR ならではの「時間・空間を超える」表現として、春夏の花材と秋の花材を同時に使用する演出です。この日のために、昨年の秋にビナンカズラを撮影し、フォトグラメトリで 3DCG を制作しておいたそうです。

クライマックスを迎え、サプライズゲストが登場

さて、空間は実在の花材とバーチャル花材によってほぼ埋められました。それまで挿花に没頭していた宏貴氏は客席に向き直ると、「最後の花材は、今日のために駆けつけたスペシャルゲストに持って登場していただきたいと思います」と告げました。

BGM がエモーショナルな曲に乗り変わり、スクリーンには、光の粒が流れる様子が映し出されます。

あの光の正体はなんだろう?と会場全体が固唾を飲んで見守るなか、iPhone のカメラが角度を変えると、なんとそこに現れたのは、四世家元であり宏貴氏の実の父でもある小原夏樹氏の姿でした。正確には、生前の写真から再現された、夏樹氏のアバターが映し出されたのです。

現家元が3歳のときに亡くなった四世家元との邂逅に、客席からはどよめきが起こります。

ふたりがしばらく見つめ合った後、夏樹氏の手から光があふれ、その中から一輪のグロリオサが現れました。最後にこれを挿しなさい、という無言のメッセージを受け取った宏貴氏は、そのグロリオサをルピナスの隙間に挿して作品を完成。会場からはこの日一番の大きな拍手が沸き起こりました。

作品の完成を見届けると、夏樹氏は手を振り、再び光の中に姿を消しました。客席で見ていた人たちの多くは「四世のアバターは生前の姿そのものでした」と驚き、なかには涙を流した人もいたそうです。

それもそのはず。夏樹氏のアバターのモーションキャプチャは、専門のモーションアクターではなく、実子である宏貴氏が担当していたのです。「腕を組んで立つ姿が瓜二つ」など、所作が似ているとよく言われるそうで、後日行われたインタビューでは「私は父の記憶がほとんどないのに、不思議ですよね」と照れくさげに語ってくださいました。

未体験のパフォーマンスに、最初は少し不安げに見守っていた参加者の皆さんも、カーテンコールでは万雷の拍手を送ります。おそらく、パフォーマンスの完成度とストーリー性の高さ、そしてなにより小原流の原点とも言える、時代の変化を読み取り、柔軟に取り入れていく気風が確かに受け継がれていることを感じたのではないでしょうか。

日本文化を支える力になる、伝統×テクノロジの可能性

日本の伝統文化であるいけばなと、最先端の IT テクノロジである MR。一見不釣り合いに思われる分野が化学反応を起こした結果、多くの人々に感動を与えるパフォーマンスに結実した「いけばなパフォーマンス-百の花を繋いで-」。

その裏には、テクノロジを提供した南国アールスタジオのメンバーと、準備から当日のサポートまでをやり遂げた小原流の皆さんの尽力がありました。カーテンコールで呼び込まれた皆さんの表情からは、大きな達成感が見て取れました。

いけばな × MR パフォーマンスの考案者である、元シアトル日本国総領事の山田氏は「2020年に行われたシアトルでの「IKEBANA × TECHNOLOGY」の開催予定日がもし1週間でも遅かったら、パンデミックに伴うワシントン州の緊急事態宣言発令によって中止になっていたはずです。そうなっていたら今日の素晴らしいパフォーマンスは存在しなかったかもしれないと考えると、感慨深いものがありますね」と万感の表情で振り返ります。

そして「2年前と比べてテクノロジの精度は格段に進歩していると感じました。こうしたパフォーマンスが若い人たちにも受け入れられて、日本の伝統文化を支える力になる日も近いと思います」と、伝統文化と先端テクノロジのコラボレーションの可能性を改めて実感されていました。

※関係者インタビューをまとめた後編は近日公開予定です。

当日のライブパフォーマンスの様子は以下の動画をご確認ください。(2022年6月10日更新)

関連情報:

HoloLens 2 / Mixed Reality 製品に関する情報はこちら

国内におけるHoloLens 2 / Mixed Reality の最新情報はこちら

 

Join the conversation